日本に来て商いで成功した台湾人-その2

日本中いや世界中の人が知ってる「チキンラーメン」を開発した会社

「日清食品株式会社」の創業者 安藤百福氏も台湾嘉義市の出身です。

安藤氏は1910年(明治43年)生まれで、日本の台湾統治が明治28年に始まっていますから安藤氏の多感な少年時代の15歳当時は、日本統治から30年が経過しています。

台湾の近代化も教育制度も、台湾の地に根付いてきた頃だと想像できます。

そんな安藤氏は幼くして両親を失くし、台南で祖父母に育てられます。22歳になった安藤青年は父の遺産を元手にしてメリヤスを扱う商社を設立、そして翌年には大阪船場で日東商会という会社を設立して台湾~日本間の貿易事業を始めました。仕事と並行して立命館大学の夜学に通うなど彼の20代は精力的に生きた時代でした。が日本は第二次世界大戦そして終戦と時代が変動していきます。 終戦の年に安藤氏は35才で働き盛りでしたが彼はこれから激動の人生を歩む事になります。戦争で全てを失った安藤氏は大阪で百貨店経営を皮切りに泉大津市で製塩事業も始めます。戦前の資産を中国籍を選択して確保しましたがこの潤沢な資金に目をつけたGHQが安藤氏を脱税容疑で拘置所に収容します。不当な扱いに氏は2年間法廷闘争をしますが最後は和解し無罪放免となります。

昭和32年には頼まれてなった信用組合の理事長職。この信用組合が倒産し、氏は全財産を失い無一文になります。安藤百福47才です。今の47才はまだまだ若いですが昭和32年当時の47才では現代でいうと+20才の67才ぐらいではなかったでしょうか。

色々な商いを大阪で展開してきた氏は、以前に食糧難の日本の学校給食がパンではなく丼の中に全てが入っている麺の方が栄養もあると厚生省に進言したことがありました。その時に厚生省の担当官が「自分で開発してみてはどうか」と奨められていたのを思い出しチキンラーメンの開発に着手することになります。1年間自宅の裏庭でインスタントラーメンの研究に時間を費やします。そして1958年(昭和33年)にチキンラーメンを発売します。カップヌードルは1971年(昭和46年)に世界初のカップ麺として国内で発売しました。安藤百福氏61才です。インスタントラーメンの発想は安藤氏が台湾人であったからこそ出たアイデアだと思います。そして台湾人の根底にある食に対する貪欲さと雇われるより自分でするという独立精神も台湾人気質です。2007年(平成19年)安藤氏は自宅のある大阪池田市で96年のその波乱万丈の人生を終えられました。