台湾の英雄・鄭成功

          <台南・赤嵌樓 (チーカンロウ)の鄭成功像>
          <台南・赤嵌樓 (チーカンロウ)の鄭成功像>



    台湾の英雄 鄭成功って

鄭成功(チェン・チェンコン)は台湾では英雄として神格化され

「延平郡王」として祀られています。

 

鄭成功は 1624年7月14日に長崎県平戸に生まれます。

幼名「福松」。中国と日本のハーフです。

1624年は日本では寛永元年、徳川幕府の将軍が秀忠から家光に変わった年です。

鄭成功の父は鄭芝龍(チェン・チーロン)福建省出身の貿易商とも海賊とも言われていて自前の軍隊を持つなどかなりの勢力であったと想像できます。

この鄭志竜が長崎県平戸に移った際に、平戸の藩士「田川吉右衛門」の娘

「マツ」を娶ります。そして鄭志竜とマツの間に出来た長男が鄭成功です。

 

              <台南・赤嵌樓 (チーカンロウ)>
              <台南・赤嵌樓 (チーカンロウ)>


  鄭成功は7歳まで平戸で暮らし、その後は父が明朝の将軍になったため

中国福建省に渡ります。

そして南京大学に入りエリート教育を受け、文武を備えた青年へと成長します。

明朝の唐王に重用された鄭成功は皇室より皇室の朱姓と成功という名を

賜り国姓爺とも呼ばれ 鄭成功はこの光栄に感謝し、一生を明朝に

捧げる事を決心したのです。


               <台北・關渡宮の「延平郡王」>
               <台北・關渡宮の「延平郡王」>

   

      父芝龍と共に明朝に仕えていた成功ですが、

満州人が作った清国に明朝は滅びます。 

父芝龍は清国に寝返り、日本人妻の「マツ」は夫の不忠をなじり

泉州城で自害します。

成功も清国に仕える父を見限り、父の配下であった兵を率いて清国と戦います。

この戦いで成功は江戸幕府に救援を求めましたが、断られています。

そして成功は台湾に拠点を移し、その当時台湾を占領していたオランダを追い出し

台湾に政府の設置や法律を定め台湾の開拓に着手するのですが、

翌年の1662年39歳という若さで病死します。

その後の台湾では鄭氏3代にわたる政権も1683年に清朝に降伏し幕をとじます。


              <台南・安平古堡の鄭成功像>
              <台南・安平古堡の鄭成功像>


   鄭成功のご遺体は長崎県佐世保に母のマツと一緒に埋葬されています

 日本・中国・台湾福建省で人気の高い鄭成功!

そして 台湾と日本はこの時代から縁で繋がっていたのですね!

いちど 長崎の鄭成功眠る地を訪れてみようと思います。